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はじまりのアイビー・ルック

1954年6月に婦人画報社から『男の服飾読本』という雑誌が創刊されました。そのキャッチコピーは、「最もスマートな男の服飾の第一歩から世界の流行をマスターする専門雑誌!」。これがのちのMEN’S CLUBです。目次には、「今日の流行を身につけるために」「貴方をスマートにする服装案内」「カレッジ・スタイルはいかにたのしむか」などの文字があります。
この『男の服飾読本』創刊号の巻末、「男の服飾用語事典」のア行の部に〈アイヴィー・リーグ・モデル(Ivy League Model)〉の項がありました。執筆者は青江耿介でした。

〈アイヴィー・リーグ・モデル(Ivy League Model)〉
英語。ブルックス・ブラザーズ・モデルともいう。アメリカの尖端的な流行型の一つで、東部の大学生や卒業生に支持者が多いので、俗にユニヴァシティー・モデル(大学型)とも呼ばれる。ストレート・ハンギングで、肩は狭めでパッドなしか極めて少量という極端な自然肩、上衣は三つボタンか四つで、二つボタンにはない。ズボンがかすかにテーパーして細め、プリートなしが普通。尖端的ではあるが狙いは濃厚な保守趣味で、この点で同様に尖端的なハリウッド・モデルと対照的。現在のアメリカ流行型の両極を形造っている。アメリカでもマディスン・アヴェニュの服装などといわれるほど都会的なもの。

 当時、おしゃれに目覚めかけた詰襟姿の二十歳のある青年が、この一文に目を留めました。そして、当時ほとんど情報も手がかりもない中で、彼は懸命にこの〈アイヴィー〉なるものを追い求めはじめます。この彼こそ、のちのアイビーの仕掛け人の一人、くろすとしゆきその人でした。
 くろす氏はそれから〈アイヴィー・リーグ・モデル〉のスーツのことが頭から離れなくなり、そこから試行錯誤の日々が始まったのでした。クラスメートから洋服店を紹介してもらい、そこで初めてのアイビー・スーツを依頼します。しかし、老夫婦が営む洋服店では期待通りのスーツは仕上がらず、できあがったのは三つボタンの上二つがけで、「辛うじてアイビーのにおいが感じられる背広上下」だったそうです。
 その後、何着も試作を重ねるごとに次第にアイビー風スーツの完成度は高まり、やがて一つの形へと昇華されていきました。
 『日本の男服』展に展示しているアイビー・スーツは、1960年にくろす氏が銀座の山形屋で勤めている時につくったものです。このアイビー・スーツは、すでに元の〈アイヴィー・リーグ・モデル〉から更にはるかなイメージの完成度に達しています。

 「肩幅はより狭く、第一ボタンの位置はより高く、ボタン間隔はより広く、センター・フック・ベントはより深くと、注文は過激になっていった。これは明らかに立川のエアベースで見た黒人アイビーの影響を受けたものである。本格的なアイビー・リーグ・モデルを誇張した服といえる」(『アイビーの時代』くろすとしゆき著より)

“アイビーはアイヴィーより出でてアイヴィーよりかっこ良し”とでも言ったところでしょうか。このようにして、日本独自のアイビー・ルックは始まっていき、その後多くの若者たちが魅了されていったのです。

MOMO

  • 2013/12/20 |
  • 18:22 |
  • ファッション
  • fashionmuseum |
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