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穴窯と炎

一昨日、古い友人の知人であるT氏が居を構える宍粟市一宮に行ってきました。
T氏は、かの地で自作の窯を持ち作陶を続ける窯元です。この連休中に彼の仲間たちの助けも借りながら、十日間ほど窯を焚き続けていらっしゃいます。私の友人とT氏とは、かつて作陶の師を同じくした兄弟弟子にあたります。
私は友人に誘われて、一晩、窯に薪をくべ続ける作業を体験しにいきました。

三ノ宮からバスを乗り継ぎ、夜の9時に現地入りしたのですが、現地は外灯もほとんどなくまったき夜の闇が降りていて、久しぶりに満天の星を見ることができました。
現地について、荷物を置くと、いきなり作業場である小屋へ。広島から駆けつけた友人は既に作業に入っており、彼と合流することになりました。
私はと言えば、ただ友人に誘われるままにその場に赴き、何をするのかさえ覚束ない有り様。そんな状態でいきなり1200度の熱がこもる窯のそばに連れて行かれ、戸惑いも最高潮でした。
現地で私に与えられたミッションは、朝の7時に交代が来るまで、友人と二人でひたすら窯に薪をくべ続けることだけです。ところが最初は、これがとてつもない難事に思え、はたして自らにできるのだろうかと不安にかられました。

穴窯とよばれる窯には多くの陶器が入っていて、既に6日間焼成されています。7日目にあたる作業は自然釉をつける段階に入っており、窯内の温度を1250度から1260度あたりに保たなければいけません。
穴窯の手前には35㎝四方の間口があいており、それをふさぐようにして約40㎝四方の四角いコンクリート状の板が蓋として立てかけてあります。そこを手早く開けて、薪を3本ほど放り込みます。それから外の煙突から吹き上がる炎の状態を見ながら、炎が弱まってきたら新たに薪を放り込みます。この単純な作業を延々と繰り返すのです。
と、このように書くと簡単そうですが、私にとっては慣れるまでが本当に大変でした。その最大の原因となったのは、“炎”と“熱”への恐怖です。

昨今では日常生活において炎を見ることはほとんどありません。自宅のガスコンロの青い炎はせいぜい4、5㎝ほどですし、近所で焚火をするのも見かけなくなりました。普段、町で寝起きし、人工島に仕事をしに通う身としては、大きな炎を目の当たりにすることはまずなく、轟々と燃え盛る炎は、体の芯から恐怖を湧き上がらせました。
その恐怖に抗いながらなんとか薪を放り込もうとするのですが、穴窯に蓋をしている板は超高温で、軍手の上に牛革手袋を重ねた左手で数秒支えているだけでも指が熱さに耐えかねます。それで気持ちは焦る。焦れば今度は薪を持つ右手がもたつく。もたついてると手に持った薪に引火し、手元まで火が迫る。そしてさらに焦る。
開始後わずか30分で憔悴し、残された9時間に途方に暮れました。

それでも20年来の経験者である友人の手ほどきもあり、2時間もすればすっかり“慣れ”ました。人間の適応能力とは実に驚異的です。
慣れてしまえば、動きにも余裕ができ、手元で薪が燃え出しても、落ち着いて対処できるようになります。
しばらくすると、放り込んだ薪が燃えながらたてる音に耳を澄ませ、窯の隙間からもれる光の色に目を凝らし、時折小屋の外に出て煙突から出る炎を楽しむ気持ちも生まれてきました。
慣れれば、やるべきことはいたってシンプル、「火を絶やさないこと」だけです。そのシンプルな作業の中で、今度はいろいろなことが自身に去来しました。しばらく忘れていた「夜は暗くて静か」や「炎は熱くて明るい」ということなども思い出しました。

友人とは30分おきに交代し、休憩時間はお茶を飲んだり、座って目を閉じて体を休めたり、夜食を食べたりして過ごし、作業時間は黙々と薪をくべる。それを繰り返すうちに、次第に空が白み、闇は去って、朝をむかえました。
ゆっくりと明けていく空に、闇の中であかあかとしていた炎がその明るさを奪われていく様を見ながら、そういえば東からのぼるこの星も「熱くて明るい炎」だったと、あらためて感じたりしました。

MOMO

  • 2013/05/04 |
  • 11:57 |
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