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『パンツが見える。-羞恥心の現代史』

今回は、井上章一氏の『パンツが見える。-羞恥心の現代史』について、書きたいと思います。この本はその書名の通り、女性の下着のパンツと羞恥心をめぐっての考察です。

60年代半ば、日本でもミニ・スカートの一大ブームがやってきました。1966年に、ロンドンの人気モデル、ツィギーが来日したことも起因しているでしょうが、とにかくティーンエイジャーのみならず、多くの女性たちがミニ・スカートをはきました。

しばらくすると非常に長いマキシ・スカートが流行り、今では、ミニもマキシも普段着として定着し、シーズンごとにどちらかが流行るといったことはなくなりました。

このミニ・スカートをはいてる女性や女子が階段やエスカレータを上っている時に、鞄などで臀部を押さえるしぐさが見受けられます。ここには、「パンツを見られたくない」、という羞恥の心情があると考えられます。

その逆に男性の側には、「パンツを見たい」という気持ちがあるのでしょう。先日、観ていた“警察24時”と銘打たれたテレビ番組で、エスカレータで携帯のカメラ機能を利用して女性のスカート内を撮影していた男性が現行犯逮捕されるシーンが放映されていました。

「見たかったんか?」(舞台は関西の駅のようでした)という警察官の言葉に、「はい」と力なく男性は答えていました。

この『パンツが見える』は、このような「見たい」「見られたくない」というパンツをめぐる男女の心情とその変遷について、戦前・戦後の新聞や雑誌、文学などの言説を丹念に読み解きながら、検証していきます。そもそも日本人女性がはいていなかったパンツを、ある時点から一般的に着装するようになり、そのことによって羞恥心がどのように形成されていったのかを、つぶさに報告しています。

この本の冒頭で井上氏は、一般的に信じられている「日本人女性は1932年の白木やデパートの火事以降に急速にパンツをはき始めた」というお話に、疑問を呈しています。

1923年の関東大震災や1932年の白木屋の大火災などの機に、一部の識者たちの間でパンツをはくようにとの運気が高まったのは事実ですが、実際のところ、女性が日常的にパンツをはくには至らず、結局一般に普及するようになったのは1930年代後半から40年代初頭のことです。

私が、この本を読んで一番興味をひかれたのは、そもそも日本人女性は下半身が見えてしまうことに対して、現代女性たちが感じるほどには恥ずかしさは感じていなかったという点です。ゆえに井上氏は、一般に信じられている“火事の勢いに逃げ場を失った大和撫子たちが、デパートの上層階から逃げ出そうとつないだ帯をつたいながら下りているときに、にわかの突風に乱れた裾を気にして手を放してしまい、あわれ命を落としてしまった”という感性をあくまでも現代的な感性と指摘しています。

“陰部をのぞかれた時にいだくえがたい羞恥心。これは、パンツをはく習慣が女たちにうえつけた心性である。(中略)陰部をかくすパンツが、それまでにないはずかしさを、学習させたのである”(井上前掲書、78頁)

私は、この本を読んで、服飾史について考えていく際の、非常に重要な姿勢に気づかされました。つまりそれは、過去の服飾文化に関して考える時に、できるだけ現代人としての私の“当たり前の感性”をあてはめないということです。

羞恥心や嫌悪感などは、時として心理的のみならず私たちの生理的な部分においても強い反応をもたらします。その際に私たちは、その強い生理的な感覚を人間の普遍的な感覚であるかのように錯覚してしまいがちです。

先の白木屋火事をめぐる俗説にしても、「パンツを見られるだけでも恥ずかしいのにパンツをはいていなければ死ぬほど恥ずかしいに違いない」という、現代の私たちの感性によって“納得”されているのです。

この本を手に取ってから、10年が経ちました。

この本によって得られた自明の感性をも疑いながら史実を探っていくという姿勢は、今も私の大きな糧となっています。

MOMO

  • 2012/04/16 |
  • 10:00 |
  • ファッション
  • fashionmuseum |
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