follow me

季節の話題

まだ私が小学校低学年だった今から40年ちかく前のこと、夏になると昼間のワイドショーで『あなたの知らない世界』という番組を観るのを、母は楽しみとしていました。ただ、たちが悪いのは、自分一人で見るのが怖いからと、嫌がるまだ年端もいかない息子を必ずテレビの前に同席させたことです。

番組の中で特に怖かったのは、視聴者から送られてくる体験談をもとにした再現ドラマでした。怖くて見たくはないのですが、目を閉じていても音声は聴こえてきます。音を聴きつつ眼を閉じていると、余計に妄想が膨らんで耐えられなくなります。仕方なく指の間から覗く画面の中では、車のフロントガラス越しにおどろおどろしげなる表情をした女性がアップになり、その映像がギャーッという悲鳴とともに脳裏に刻まれます。

昼間に刻まれたそのようなイメージは、いざ夜になり床に就いて目を閉じると、まぶたの裏に浮かんできます。それが原因で、なかなか寝つけないでいると、その元凶であるところの母が、「いつまで起きてるの!」と文句を言うのです。子供ごころに非常に理不尽なものを感じました。エアコンのない寝苦しい夏に、恐怖から逃れようとタオルケットを頭まで被り、そのせいでひどい汗疹ができました。

その後、中学高校になると、4つ年上の従兄弟から、様々な体験談を聞くようになりました。いわゆるよくある「友達の友達から聞いた話」ではなく、一人称での体験談です。従兄弟はそのようなことを体験する“体質”らしく、たまに会うたびに新しい体験談を聞かせてくれました。その淡々とした当然といった語り口には、怖がらせようという演出に満ちたテレビの再現ドラマのような怖さはなく、そのあまりの何気なさに、私はかえってそこはかとない恐怖を覚えたものでした。何度も泊まった従兄弟の部屋や普段通るドライブウェイにも「私の知らない世界」は在るのだと、感じられる経験でした。

そのような経験を通じて、私は不惑をこえた今も、そのような「私の知らない世界」は普通に在る、という感覚を持ってしまっています。世の中には、声高に反論を叫ぶ科学者の方々をはじめ、「そのようなものは無い」と言う御仁も多くいらっしゃるので、どちらが正しいのかはわかりかねますが。

従兄弟と過ごした夏から幾年月。また、暑い季節が巡ってきて、たまたまふと手にした1冊の本があります。『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』(メディアファクトリー/2011)です。そのタイトルの通り、ノンフィクション作家である著者が、自身の“奇妙な”体験の数々を、“読み物としては成立しない危険”を冒してまでも、“話に尾ひれ”は付けないと心に決めて書いた、というものです。そこには、かつて従兄弟が淡々と語ったような当たり前の日常としての「私の知らない世界」が綴られています。

幸か不幸か私自身にはそのような“体質”が不備なもので、未だ「知らない世界」は知らないままですが、知らないことを知らないままに否定しない、という姿勢だけは後生大事に持っておこうと、あらためて感じる今日この頃です。

 MOMO

  • 2011/07/05 |
  • 12:00 |
  • つぶやき
  • fashionmuseum |
  • この記事のURL
  • Trackback(0)
  • Tweet!