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プラチナのカタチ

これでもか、これでもかとモノのカタチを追求する人間たち。新しいカタチを求めて目を皿のようにしている現代です。カタチが素材を求め、出会い、技術がその両者を結びつけ、そしてまた素材がカタチを提案する。そうやってカタチは日々追い求められています。

19世紀のデザイン界にも、今私たちが目にしているこんな毎日と同じ世界が展開していたようです。

今回は、たまたま出会ったプラチナについての資料から(Platinum Guild International 発行)色々と教わりましたので、そのおすそ分けを皆様に・・・。

1791年に発見されて以来『解けない金属』とされていたプラチナは、1990年前後にその融かし方が発明され、一気に装飾品としての利用価値を高めアクセサリーのデザインそのものに影響を与えました。

世界に先駆けてプラチナを使いこなし、そのデザインの質をとんでもないレベルまで一気に引っ張り上げたのがカルチェでした。重厚で細やかなガーランド様式のネックレスが美術館のケースの中でもいまだ色あせない輝きを保ち続けるのはプラチナの「変色しない」という特性によるものだそうです。(ダイヤの総カラット数ではなくプラチナだったんですね、ここで注目すべきは。ちょっと反省。)

髪の毛ほどの細さにまで延びるというプラチナのもう一つの特性は、レースのような繊細なベースをもつアクセサリーを生み出しました。アールヌーボーのデザインに見られる自然界のフォルムもまた、プラチナによって可能になりました。

そして夢のようなベルエポックが過ぎ、第1次世界大戦後のヨーロッパで大きく女性が解放された時、彼女たちを飾ったのは黒と白の幾何学模様でおなじみのアールデコスタイルのデザインの装飾品でした。オニキスとダイヤとプラチナの作り出す大胆な構成のジュエリーは当時のファッションに不可欠な、というよりその主たる要素となりました。

ここでもやはりプラチナでした。大変高価なものではあるけれど、ダイヤをあそこまでキラッキラさせるプラチナという素材なしではオニキスの「黒」に対する「白」の役目はダイヤといえども無理だったのではないでしょうか。

プラチナという素材が、時代のデザイン=カタチを可能にしたのでした。

素材のもつ特性と技術者の『手』がカタチを決め、さらにデザイナーの『脳みそのしわ』と『心のひだ』がそこに加わる。そして時代がさらにそのカタチ=デザインの方向性を決定していくのでしょう。

カタチ=デザインの決定に、ここで私なりに今ひとつの要素を加えるとしたら、それはメディアの「知らせる力」でしょうか。

なぜ、フランスのファッションが世界をリードしたか。それは「知らせる」技を持っていたからです。ミニサイズのマネキンが縮小版の最新モードを着せられ海を渡った時代からフランスには流通網が確立されていました。その後マネキンに代わって情報伝達の主流となったファッションプレートの時代にも、最新の版画・印刷の技術がありました。これらの要素を備え持ち最新のファッションを世界中に届けることができたからこそ、フランスはその世界の中心となりえたのはよく知られるところです。

現在は個人がリアルタイムでコレクションを検索する時代になりましたが、プレートの時代からここにいたるまでのその間、TV・雑誌で世界のファッションを伝え続けたのが各国のファッション・ジャーナリスト達でした。彼女たち(時々、彼ら)がこの時代の、「知らせる力」でした。

1970年以降の日本では、全ての女性にヨーロッパのファッションを届け続けるファッション・ジャーナリスト大内順子氏の存在が、日本の誇る「知らせる技」でした。

当館所蔵の「大内順子コレクション」の中には、ジャーナリストとして走り出した当時の彼女のパワーとその時代の風を感じさせる資料がたくさん保存されています。1962年New York 滞在中の新聞から切り抜かれたファッション速報の紙片、70年代初めのパリコレ・プログラムに残る走り書きのペンの跡。そこここに氏の「私が知らせる」という使命感と、「私が見定てやる」的気概が伝わってきます。 その結果、今度は世界中のメゾンが日本への紹介を求めて氏にインヴィテーションを送り続けることになります。

氏に届けられた莫大な数のインヴィテーションやプレスリリースは、世界が認める彼女の見る力・見極める力・伝える力を静かに物語り、見るものを圧倒します。

そこに天性の才能と、勤勉と、根性が見えるようです。世界中のメゾンが、ダイアナ元妃が認めたパワーです。

プラチナの技術者・職人に備わっていたのも才能と勤勉と根性だったと思います。

昭和の午後3時台に大内順子氏のパリコレ速報を今か今かと待ち続けた世代にも備わっているはずの勤勉と根性という美徳。

アラフィフの今、しっかり思い出させていただきました。

ありがとう大内順子さま。ありがとうプラチナ。ありがとうお母さん。

teppici

  • 2011/05/15 |
  • 11:23 |
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