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森村氏のレクイエム

 

先日、兵庫県立美術館で行われた森村泰昌氏とやなぎみわ氏の対談に行ってきました。

11時から配布の整理券をGETすべく10時過ぎに行ってみましたが、はや65番目。いったん帰宅して1時半に美術館に戻り、満席の会場でお二人を待ちました。

森村さんはキャメルのレザージャケットに森村さん的黒のタートル、足元はこげ茶のスエードスリッポン。やなぎみわさんは小豆色のサテンシルク(多分)のやなぎさん的辛口乙女シャツで登場されました。

特に用意してきていないというお二人の対談はさぐりさぐりな感じで始まりましたが、森村氏の東大講堂を使って撮影されたマリリンモンローの作品や、書棚の前の原節子、通天閣のブリジッドバルドーといった女優シリーズ作品の制作秘話で、会場は笑いと感動に包まれました。

 

 講演の内容は県美HPに譲るとして、お話を聞きながら「ああ、そうだったのか」と遅まきながら気付かされたのは、あまりにも有名なあの『ゴッホ』の作品が85年の制作であり、それはPCのない時代、つまり写真が一発勝負の世界であったということでした。セルフポートレートの作品群は、まさにその一発勝負に発生する「生々しさ」に多くを委ねてきたのでした。

しかし今や、氏の言葉を借りると「イメージが情報化・データ化」される時代であり、イメージは際限なく再生・修正されます。その結果、作品のもつ生々しさや活き活き感はどんどん薄れ、昔の「わー、ほんまにやってる」という鑑賞者の感想は「えー、ほんまにやってんのん?」という疑いに変わってきたといい、『セルフポートレートの危機』を感じたということでした。

 

しかし、写真を見て、「あー、『生』を見たかった!」という人類共通の意識が働く限り、森村泰昌が生存し『フリーズドライされたその瞬間をもう一度引っ張り出しお湯をかけ再生』し続ける限り、私たちはこの倒錯した臨場感に浸り、被写体に心を寄せ、嘘だけどある意味本物な生 ――― を感じることができるのだろうと思います。

心を寄せた被写体が森村氏なのか本物なのか・・・。 は、個人の自由ということですが、 デジタルに負けない「生」の写真作品が存在し続けるとしたら、以外にも「結局は嘘」の世界を写す森村作品こそが、その役目を唯一果たす存在なのではないかとさえ思わせる。 

さすがな存在感とお話しでした。

 

では、何十年かの後の世で、森村氏自身と彼のセルフポートレート作品に対するレクイエムはどんなふうに展開するのでしょう。

フリーズドライにお湯をかけたものは果たしてまたフリーズドライできるのか。

そこにかけるものはやっぱりお湯なのか。

その時やなぎ氏はまた自室を提供するのか、何を思うのか。

ぜひぜひ、見届けたいものです。        

  teppici

  • 2011/03/01 |
  • 09:39 |
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