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新着の中から、一冊のご紹介

『 自然と必然の住まい  ヴァナキュラーへのまなざし 』

開催  2007年11月
主催  武蔵野美術大学美術資料図書館

の図録が、ライブラリーに新着しています。 

モノのカタチは、素材や技術といった物理的要素や自然環境からだけではなく、暮らし・暮らし方といったソフトの面からの必然性に多大な影響を受けています。 このように様々な要素から生まれ継承されてきたカタチ・言葉・芸能など、渡来に対する「土着」、標準語に対する「方言」、流行建築様式に対する「民家」といったものが今 建築・デザイン分野発信で、『ヴァナキュラー』 という言葉を使って表現されています。

この「自然と必然の住まい ヴァナキュラーへのまなざし展」では特に 建築にスポットを当て、世界各地の 『ヴァナキュラー』 が研究者によって写真で紹介されました。
図録には出展研究者3名による座談会の記録も収められていて、話し言葉で語られた解説は大変読みやすく理解しやすいものになっています。

            

 これに限らず、通常「展覧会」と同時に発行される『図録』は、その分野の入門書として とても利用価値の高いものだと思います。 意外と知られていませんが各地で行われた過去の展覧会・展示会の図録はおもに閉架資料として多くの図書館に所蔵されているものです。

F美ライブラリーでは設置の検索機で 『図録』 とフリーワードの欄に入れていただくと検索できるようになっています。 お試し下さい。

            

ご紹介している図録の中で特に面白かったのが、オランダの茅葺屋根の民家とバリ島の村の民家とがとても似ているという指摘でした。 イギリスのアート&クラフト運動がオランダに渡り、その影響を受けたアムステルダム派の建築家の建てた民家の屋根がバリ島のそれと似ているのだそうです。山をひとつ越えただけでも変化する『ヴァナキュラー』が、気候も条件も全く違う場所で偶発的に似通ってしまう事もあるのだ、人間って不思議ね。という結論に達するのかと思いきや、要はインドネシアがオランダの植民地であったから、バリの茅葺屋根はオランダに逆輸入?されたという訳でした。

話は逸れますが、アート&クラフト運動と来ますと、その本拠地イギリスのW.モリスによるRED HOUSEです。 その流れの集大成とも言われる建築物ですが、実は遠い昔、そこを訪れたことがあります。

当時も今も、デザイン科の学生にとって 『W.モリス』 は必ず通る道です。
彼の提唱した運動を経て、その後のデザインの近代化の流れに注目していくための、ある意味「通過点」として授業の中で捉えられることが多いモリスですが、あの時、多くの教授と全てのクラスメイトの意に反して私はひとり、彼に、「クラフト」に、留まってしまう事になりました。 結果、悲しいかな、その時点から専攻科内のプチ異端児として扱われ続けたように思います。
丁度、デザインと工芸の線引きに悩んでいた事もあり、勿論レベルは違うけれど自分の感じた疑問に遠い昔に答えを出してくれていたW.モリスや日本の民芸運動のことを知り、心洗われる気分で関連書物を読み漁る毎日でした。
そんな中で、RED HOUSEがまだ現存すること、申し込みの手紙を書けば見学できることを知り、私は大急ぎで無我夢中で、イギリスに飛んでおりました。
手紙の返事は「あいにく補修工事中で見学は出来ない」というつれないものでしたが、どうあろうととりあえず行ってみようという事で、ロンドンから電車を乗り継ぎ、駅からの道をとてもアバウトな地図を頼りにひたすら歩き回り、カラカラのペコペコで 「夢のRED HOUSE」 に辿り着いたのを覚えています。
結果はやはり工事中ということで 門はかたく閉ざされたままでした。あきらめきれずに裏に回ってみますと塀沿いに、切り株だったか石だったか、とにかく台になるものを見つけました。で、それによじ登り、でも塀はまだまだ高く背は低く。それならば、とカメラを持った手を、限りなく塀の中に突き出して、とにかくシャッターを切りまくり、押しまくり。 撮った写真がこれです。

手を突っ込んだ一枚

RED HOUSEの一部

RED HOUSE LANE   (車の停まっているあたりがRED HOUSE)
青春の一枚、と言われれば迷わずこれが、私の青春の一枚です。
話を元に戻します。
ヴァナキュラーの定義を調べてみますと

市場で売買できないもの
共有地に由来するモノ ・ 言語
家庭の主婦の活動と分かちがたいもの

などなど、様々な意味を持ち、様々な場面で使われている言葉と言う事がわかりましたが、共通するのは 「綿々と受け継がれた毎日の積み重ねから生まれてくるもの」という感覚でしょうか。
 
でも、「シャドウワークと呼ばれる家庭の主婦の活動と分かちがたい」、しかも「市場では買えないもの」としての 『ヴァナキュラー』 なものの喪失が、日々加速度を増し、もう止められないところまで来ているように思います。
今やそれは「外の社会が用意したサービスと交換できる」時代だからです。家庭の味もレストランや更にファストフード店に、お掃除だってOOメイドが代行してくれる時代だからです。
今は、人生を楽にしてくれる反面、綿々と受け継がれ積み重なるはずのものが積み上げられず、便利だけどそれでいいの?という時代です。

そんな現代を村上春樹氏が「スナック菓子」と言う言葉を使って語っていらっしゃいました。
「スナック菓子は、すぐにエネルギーになるけれど体にいいものとは決して言えない。けれども皆、便利さゆえにすぐに飛びついてしまう。 同様に人々の感じ方・考え方までもがスナック的魅力のあるものに偏り、引きずられている。」という警鐘でした

            

すぐに人の意見に飛びついてしまう自分が確かにあります。脳の中までコピペで埋まっている自分も感じます。それを自分の意見と勘違いしている自分であることも知っています。でも、コピペの即席情報で満足もしてしまいます。 
おかげで、即座にそれなりの事も言えエッセイも書けるけれど、便利さと忙しさを度外視してみれば、今自ら発した情報が、本当に自分のカラダにココロに響いたものか、いやそれ以前にちゃんと自分の脳を通過したものであったのかどうかさえも定かではないことに気付きます。 
反省 反省です。

周りがモリスを終えてバウハウスに進み、コルビジェを論じて後、フィリップスタルクなデザイン図面に挑戦している時、一人立ち止まりデザイン史を逆行してしまった当時の私は、いき当たった根来塗りに魅了され、ゼミより陶芸家の講演会を優先してどやされ、果てはRED HOUSEの塀の内に手を突っ込みました。 
あちらこちらで立ち止まり途方にくれながらも、何とか自分なりに 「モリス 」 をクリアしてから前に進もうとしたのだと思います。 

ああ、あの頃のペースに、戻りたい、戻したい。
そんな事を考えさえてくれた一冊の本に出合えた今日に感謝です。 
有難うライブラリー。         

 SABU

2009年07月14日(火)
 15:07

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  • 2009/07/14 |
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