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靴職人 鈴木幸次さん

先日ご紹介しました
Road of ビスポーク展の様子です。

3月15日 北野工房のまちで開催された
鈴木幸次さんの講演会場には120名を超える方々。
東京や長野など遠方から来られた方もいらっしゃったそう。

はじめはパタンナーを目指しイタリアへ渡った鈴木幸次さん。
イタリアでのエピソードをお話されました。

「偶然の出会いが、ぼくの場合は大きかった」

語学学校へ通いながら、働かせてもらえる工場(現場)を探
し,やっと見つけた工場は、ビザ申請のため一時帰国した間
に倒産。いったんイタリアの小さなデザイン学校に行くことに。

そこで初めて、デザインの基本的な考え方や取り組み方、
コレクションやショーの世界を知る。

今のデザインに対する考え方は、そこで学んだことが大きく
影響しているのだそう。

そして、ロベルト・ウゴリーニ氏との出会いもまさに…偶然。
友人の誕生日会の席でのことでした。
早速、ウゴリーニ氏の工房を訪ねることにした鈴木さん。
そこでは、、、

「手で靴が作られていく。その迫力に、ただただ圧倒された」

国内の大量生産の靴の現場では、思いもかけなかった世界。
その翌日から、ひたすら通い続けた。
朝早くにアパートを出て、夜は最終バスに揺られる毎日…

ウゴリーニ氏との関係は、日本の職人の師弟関係とは違って
いた。誕生日やクリスマスには古い道具を贈られる。そして机
やペンダントライト…。働かせて欲しいと頼みこんだわけでは
なく、工房に自然と自分の居場所が出来ていったという。飽き
性な自分がこれほどまでにのめり込めたのは、彼とのそんな
関係があったからかも。とも振り返る。

イタリアで過ごしていた時、畑は違えど何かを目指している
ライバルがいた。
「誰かが賞を取ったら、自分も悔しくて負けじと頑張った」
その中には、IL MICIO(イルミーチョ)の深谷秀隆さんも。
深谷さんとは歳も近く、切磋琢磨し「ビスポーク靴職人」とい
う同じ頂きを目指す、良きライバルとなった。

「周りにライバルがいる環境を作った方が良い」というのは、
集まった若手クリエーターへのアドバイスでした。

次なる夢は?との質問には
「歴史あるブランドが立ち並ぶ
            ニューヨークのような大都市での挑戦」

今後のご活躍にわくわくさせられます。

mu*m

  • 2008/04/08 |
  • 17:00 |
  • ファッション
  • admin |
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